ドマゲティの夜

あるとき、私はドマゲティという町をたずねました…
本当に田舎で、信号もなければタクシーもないところなのです
もう二度といくことのないところだと思っていたのに…

彼女と会ったのは今から4年前の春、ちょうど町に暖かさが戻
ってきたころでした。彼女はメスティーサで、数いるフィリピ
ーナの中でも気品のある顔立ちをしていました。当時その店に
はアルバイトの子(結婚しているか、オーバーステイ)とタレ
ントの子と半々くらいでした。今ほどビザもうるさくなく、か
わいければオーバーステイの子でも簡単に働けた時代でした。

しばらくして二人は恋に落ちました。それには大して時間はか
かりませんでした。そして彼女に子供がいるのもわかりました
しかしそんなことはどうでもよかったのです。二人は幸せだっ
たのです。彼女は以前に日本人と結婚して、その日本人の戸籍
に彼女は入ったままでした。男はろくに働きもせず、彼女に家
賃や、生活費を頼る生活をしていたようです。そんな彼女とな
んで私が恋仲になったのかは私にもわかりませんでした。やが
て彼女は家を出て私のところに住むようになりました。もちろ
ん子供も一緒です。私は苦にはなりませんでした。それだけ彼
女を愛していたのだと思います。私は彼女に仕事をやめるよう
にいいました。しかし彼女は聞いてくれません。理由は
「家族
のため」
です。多くのフィリピーナと同じように、彼女も家族
の為に働いていたのです。前述のとおりかなりの田舎で、仕事
がなく、食べることにも困っている状況で、日本にいたいが為
にやむなく好きでもない男と一緒になったのです。そして彼女
のお金の使い道は「家を買うこと」 でした。家さえあればみん
なが幸せに暮らせる。そう思って彼女は頑張っていたのです…
 
付き合って10ヶ月ほどたったころでした。私の選んだ答えは
「彼女の実家に行くこと」でした。そして多分結婚するであろ
う彼女の家族にあい、
「彼女の家族をこの目で見て来よう」
思ったのです。私はすぐに空の人となりました。彼女の父親と
日本語のできるお姉さんがセブの空港まで迎えにきてくれまし
た。日本を出たのが午後二時。夜セブに着き、そして夜10時
発の船に乗り込みました。交通手段がそれしかなかったのです
日本製の客船で、ゴキブリがたくさんいる中古の船でした…


そして翌朝5時にドマゲティにつきました。

船着場にはおそらく全ての家族(とおもわれる人)がきていま
した。たくさんの兄弟(9人兄弟)叔父さん、叔母さん、お母
さん… 私はあまりの歓迎振りにびっくりしてしまいました。
そしてトライシクル(バイクにサイドカーみたいなのを付けた
やつ)で家へと向かいました。タクシーなどないのです。車自
体ほとんどこの町にはありませんでした。家に着くと家族の自
己紹介が始まりました。覚えられたのは日本語のできる姉と、
妹一人だけでした。20人くらい紹介されたでしょうか。誰が
誰だかぜんぜんわかりませんでした。一通り紹介されたあと、
みんな各自の家に帰っていきました。そして彼女の兄弟と、お
父さんお母さんだけになりました。やっと静かになったのです
ところがご機嫌なお父さんは歌を歌い始めました。
「箱根のや
まは○×?、国家?お国の為に○×?」
半分は理解不能でした
が半分はわかりました。明らかに軍歌でした。意味もわからず
に、日本の歌ということだけで私の為に歌ってくれたのです。
当時ドマゲティのあるネグロス島には日本軍の基地があったと
ころらしいのです。終戦時にはたくさんの日本兵がドマゲティ
の山間部に逃げ込んでいたといいます。そしてお姉さんが話し
てくれました。彼女のお父さんのお父さん。つまりおじいちゃ
んですが、家族の前で日本刀で首をはねられているのです。そ
この部落の代表者だったおじいさんは、日本兵がやってきてそ
こを制圧したときにフィリピン人のまとめ役としての仕事をさ
せられていたようです。そしてある日、彼女のお父さんの目の
前で、日本兵の手によって軍刀で首を跳ねられたらそうです。

お父さんはどんな思いで私を受け入れてくれたのでしょうか…


複雑な思いのまま、私は時間が過ぎるのを待ちました…

ドマゲティの夜2に続く


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